雨降りて 土肥ゆる。

つらつらうらうら。揺蕩う日々の虚ろな記憶の溜池。重い腰が上がらない。

意識を有すると言う事

こんにちは、かぢつです。

最近暖かくてお花見日和かと思いきや、本日は強風で桜の花びらが曇天のもと、沢山舞っておりました。明日六本木の桜を見に行こうかと思ってるけど、大丈夫かな...

お花見日和な昨今ですが、暖かくなって来ると柔らかい日差しの下、読書をしたくなってもきますよね。ぶっちゃけ「読書の秋」とか言うけど、こういうちょうど良い温度の季節って結局は「読書の季節」なんだと思う。大手町にも「食欲の春」とかってポスター貼ってあったし。つまりはそう言う事。

さて、最近話題だった「紙の月」を途中まで読んでいたのですが、それをほっぽって、今は新書の「2045年問題ーコンピュータが人類を超える日ー」を読んでおります。

 

2045年問題 (廣済堂新書)

2045年問題 (廣済堂新書)

 

 

これ、彼氏が日本にいた頃に読んでいて、スウェーデンに持って行く予定だったところを頼み込んで貸してもらっているのですが、やはり、なかなかに面白いです。SF系興味ある人とかだったら面白いと思います。SFっていうか超現実的なんですけどね。

わたしはこの本を読むまで「2045年問題」なんてものを知らなかったので、とてもお勉強になったのですが、よく考えたらあと30年後じゃんってびっくりしちゃいました。ちなみにまだ読み終わってないのですが。

まぁ、人工知能が人間を凌駕するというお話が核なのですが、わたしが気になったのはそこじゃなくて、コンピュータが意識を有する必要性があるのかどうか。超絶サブな部分ww

松田氏はこの著書の中で、多くの科学者がコンピュータを更に発展させる為には意識を芽生えさせる事が必要不可欠だと考えていると述べています(ちなみに本人は、この意見については批判的です)。

意識を芽生えさせる事によって人智を凌駕して行く可能性を作り出す。

けれどそもそも、意識とは何なのだろうとふと思ったわけです。

まさに、哲学ターイム!

松田氏は意識とは人間の脳内に浮かぶ曖昧でふんわりとした存在のような感じと説明されています。例えば、国家内の個々人がシナプスだとして、国家が脳。国家の意識とは、どこへ向かって運営されているのか(脱原発とか)であり、それは個々人が考えている事とは異なる場合があります。意識とはそんな感じのものであると仰っているわけです。

やっぱり理系の人だとしっくり来る説明をするから凄いなーとか思いながらこの辺りを読んでいたわけです。文系の人間に「意識ってなんですか?」って聞いたところで、もう笑っちゃうくらいフィーリング的な回答しか出来ないと思うからw

そして意識を宿すと言う事は、感性、感情を宿すと言う事。感情を宿すと言う事は負の感情も有すると言う事。だからもし人智を凌駕した場合、危険ではないだろうかと松田氏は考えるわけです。

また、「意識を宿す必要がある」という考え方は、「自由意志」を尊重する欧米圏(=キリスト教圏)の考えであり、過程を大事にしているからであると言うような事も述べられています。

「意識を持って何かを理解している」という状態があってこそ人工知能である、という定義に対し、松田氏は意識を持っているとか物事を理解してアウトプットをしているとかの過程よりも、結局は結果が大事なのではないかと主張されていました。

「自由意志」を重んじるのは個人主義であり、自由意志の存在が希薄な日本のような集団意識を重んじるのは利他的で集団主義である。そしてその集団主義のものは、過程よりも物事が円滑に進み結果が出る事を重んじており、それで綺麗に機能しているのであるから、自由意志=意識の存在を認識する必要は無いのではないか。

なるほど。確かに日本社会は過程よりも結果を重んじ、1度の失敗を重く捉え過ぎ、2度目のチャンスをなかなか得られ辛い環境にあるかとは思います。そう考えると日本社会はとても無機質で暖かみの無いように感じられますね。

けれどわたしは、結果が大事な事も多々ありますが、過程も大事かと思います。

そして、何より、知能を備えると言う事は結果論ではないわけです。人間は育った環境や教育によって、多種多様な知識を付けて行きます。その様々な環境・教育の結果が今現在、自身が認識している自己であり、またその知識を付けた自己を認識出来るのも意識があるからだと、わたしは思います。

人工知能だって意識が無ければただ経験をただ集積・解析してより良い選択肢を提示するだけの機械でしかないと思います。

「意識がある」と言う事は、考える事が出来るという事。

人が何かを無意識でやる時、それはだいたいルーチン化された事だったりします。つまり、頭で考えなくても反射的に身体が覚えていて行動する事です。けれど、意識があって何かを行う時は、その行おうとしている事の意味、将来への影響、そして行った結果どのような事が起こるのかなど様々な事を瞬時に考えます。そのような事を考える事で、やり方を変えてみたり、こうするとどうなるのだろうという好奇心からちょっと違った方面からの切り口を見つけたりと創造性に富んだやり方などを見つけて行く事が出来るのではないでしょうか。

わたしは意識があるから好奇心や創造性が生まれるのだと思います。

人智を凌駕する人工知能を作るのならば、やはり意識は有していないと成長してはいけないのでは無いだろうかと思います。

SF映画で登場するような人工知能は意識を有していないタイプのように見受けられます。多分、意識を有したタイプの人工知能は今な亡きロビン・ウィリアムス氏が出演されていたBicentennial Man(アンドリューNDR114)に登場するアンドリュータイプだと思います。

考える事、創造する事、好奇心がある事、これら全て意識の介在によって発声し得る行為や感情だと思います。

人智を凌駕した人工知能が現れたら、恐ろしい反面、おしゃべりしてみたいと思うのは、好奇心ある人間の性でしょうかね。