雨降りて 土肥ゆる。

つらつらうらうら。揺蕩う日々の虚ろな記憶の溜池。重い腰が上がらない。

民主主義の瓦解でお先真っ暗なら好きな事だけとりあえずやればいい。

だいぶお久しぶりです、かぢつです。

もう前回の記事から1年以上経っておりますね。いたってマイペース更新。すいません。

書きたい事はいろいろあるんですけどね。きちんと文章に起こそうとするとそれなりの労力が必要で...っていう言い訳。

先日、淡路町の居酒屋「みますや」で父と飲んできました。

f:id:poor-prose:20160719221316j:plain

創業は明治38年の由緒ある、きたなしゅらんで3星取れそうなこのお店。フロアはほぼほぼ外国人の方がスタッフでしたが、18時を過ぎると仕事始まり初日にも関わらず、サラリーマンでいっぱいでした。ご飯も美味しかったですが、お酒も美味しかったー。やっぱり秋田のお酒が好き。特にあまーい、まんさくの花。日本酒は特に久々に飲むと、美味しいですよね。ちなみに最近知った、奈良の風の森も結構好きです。

ちょっと前から、ほぼほぼ病人の巣窟となってしまっている実家。母は鬱と統合失調症で弟も鬱になった模様。唯一父だけが健全なのですが、出張で海外に頻繁に行ったり、何が何でも週休2日しかくれない会社に勤めている上に、病人の巣窟に毎日帰宅しているので親元を離れた娘としては大変心配であります。今回の飲みも父から「元気なの?」ってラインきて、ちょっとやばいのかなと思ったくらい。ま、だいたい顔には出さないから会うとへらへらしてるんですけどね。心配だわー。

そんな感じで、父とよく飲むのですが、話題はいろいろ。時事の話もしたり、趣味の話もしたり。引き出しが多すぎて打った球は必ず返される、というかむしろ倍返しされるくらいなので、話していて楽しいですし、勉強にもなります。

こないだ、例の参院選があって、結局わたしは予定していた休みに投票しようと思っていたら、仕事の都合上、まさかの休みがぽしゃったので、投票することが惜しくもできなかったのですが、その話にもなり、そしてアメリカの大統領選の話にもなりました。

わたしは改憲派でどちらかというと右寄りなので、参院選の結果的には「そうか」って感じなのですが、やっぱり選挙活動中の演説の内容に改憲の内容が入っていなかったのはいただけないですけどね。

ま、そんな参院選の話からトランプ氏の話から、先日のトルコでのデモの話などに飛び、世の中物騒だねという話になったわけです。

父曰く、世の中、今考えうる発展出来る段階まで発展してしまっていて、今後は緩やかに右肩下がりでこのままでは落ちていくだろうと行っていました。

資本主義による格差が広まりすぎて、わたしが思うに、もう手をつけられない状況だと思います。そして「民主主義」という名の今では果てしなく細分化された理想的政治形態も、限界を迎えていると思います。

トルコでのデモで、Instagramでトルコ人のアーティストの方をフォローしているのですが、デモの日のことを備忘録としてあげていました。"scarest night"って言っていたくらいだったので、相当だったんだと思います。そしてその方は「民主主義」と謳っている政権は、民衆の大半から「選挙」という神聖な場を持って選出されてはいるが、畢竟、大半にはなれなかった少数派を弾圧し国を統治している事を憂えていました。

「民主主義」という形態を利用して統治しようとするには国際情勢が複雑過ぎるのや権力保持者が利己的すぎる印象をわたしはみ受けます。舞台に上がれば観客の声はさして聞こえないし手出しもできない。そして、そのような傍若無人な振る舞いを止めるはずのメディアもお門違いな報道をするばかり。現行の「民主主義」とはそんな風に、わたしには映ります。

結局、表面上は「民主主義」でも1枚めくればそれはホッブスが言っていた「万人の万人に対する闘争」なのかなと思います。留学中にホッブス、ロック、ルソーの有名な著書を授業で扱いましたけど、一番納得したのはホッブス。多分、ちょっと性悪説でわたしの思考は成り立っているという節もありますけど... 笑

現行の形態が変わらないか新しい形態が生まれない限り、このまま右肩下がりで世界の治安が悪くなるのは目に見えているのではないかなと思います。

かと言って、政治家になってどうこうできるような頭はありません。

若い世代、所謂ゆとり・さとり世代やそれ以下の世代は、相当な熱意と覚悟で現行の政治形態を変えてやる!って思わない限りは、今ある世界で生きていくしかありません。ニュースをつければ、国だろうが都庁だろうが、お金の話。そして霞ヶ関内で錯綜する個々人の利己的な思考。そして選挙になれば誰かの揚げ足をとるべく躍起になるメディア。人間、完璧でないんですから突けばなんでもでできますでしょうよ。って思いながら眺めていますが...

そんな中で生きていかなければならないのですが、父もわたしも一貫して思うことは、これからは自分が好きな事をし続けられる人がブレずに生きていけるという事。

父は基本的に、放任主義で自分でなんとかしながら好きな事してけばいーよっていうスタンス。そんなわけで、就職もせずにわたしは都内で契約社員ですが服を売って生活しております。就職して企業で働いている同期や他の方と比べれば手取りなんで雀の涙。けど、今はお金よりも、洋服の知識が欲しい。好きな事を学びたい。そして将来はそれを糧に小ぢんまりでもいいからセレクトショップを開きたい。と考えております。

側から見れば、結婚の予定も全然なく、契約で働いて、いざという時どうするの状態ですが、一寸先が闇なら今好きな事をしてそこから学べる事を最大限に学んでいければいいと思っています。

人の幸せ基準は十人十色ですが、わたしは、今やっている事、今までやってきた事は将来、線になって繋がって、必ず意味のあるものになってくれると思っています。だから、好きな事をただただやる。それだけ。アンテナを張っていれば必ず転機はあると考えています。

結婚して家庭を持って、という事が将来の夢という人もいるかもしれません。けれどもし、将来の夢なんて何もわからなくてただただ就職をしてお先真っ暗な中頭を抱えて生きて行くのならいっそ、好きで夢中になれるものをずっとしていけばいいと思います。そりゃ最初はいろんな面で苦しいです。最初から楽な事からは何も学べないです。

そしてそんな好きなものも夢中になるものもない人はまずは勉強すればいいと思う。確かビートたけしが言ってました、やりたい事がわからないやつは勉強をしてないって。ただ世の中を走馬灯のように眺めていたら何も見つからないです。面倒で大変だけど立ち止まって、一歩一歩踏みしめて歩いていかないと何も見つからないと思います。

苦労は買ってでもしろ、後悔先に立たずとは先人もよく言ったものです。